私の原風景文字「出光」 その1

手書き文字

「スバル360」という車はご存じでしょうか?

私の叔父がこの車のレストアを行い、ナンバープレートを申請し公道を数キロ乗せてくれたことがあります。

15年位前だったと思います。

助手席に乗せてもらいましたがシートベルトは無く、ダッシュボードにベルト代わりの取っ手があるだけでした。

その取っ手を持ち、はい出発進行。

「ブロッブロロロロー」と今にも止まりそうなエンジンでした。

一般市民には手の届かない高嶺の花だった車を、軽自動車という形で富士重工が1958年に「スバル360」として、世に出したことを知ったのは後のことです。

「車」と聞いて私が思い浮かべるのはこの看板です。

皆さんもご存じ出光興産株式会社のガソリンスタンドでお馴染みですね。

調べてみると、1911年(明治44年)に福岡県門司市で創業した出光商会(出光興産株式会社)の創業者「出光佐三(いでみつさぞう)さん」が揮毫者であることが分かりました。

昔は筆で書くことが当たり前で、学問を志した人々はみな能書家だったと聞きます。

私はこの「出光」文字に、大胆ながらも計算し尽くされた造形美を感じるのです。

書体は行書。二字とも筆運びに淀みはなく、「出」は太く右肩上がり、「光」は太細表現著しく、「出」より少し大きい。特に、「光」最終画は、細く入り途中太くなり、上ではなく内側に勢いよく跳ねられている。

二字はそれぞれ変化に富みながら見事に調和しています。

なかなかできる芸当ではありません。

その感心と共に、いつも文字表現について私が考えることがあります。

何か参考にした文字があるんじゃないかということです。

オリジナル
董其昌

董其昌(とうきしょう)(1555年2月10日~1636年10月26日)は、中国明代末期に活躍した文人であり、日本には漢学の広まりと共に江戸時代にその法帖が渡来している。

オリジナル
王義之

王義之(おうぎし)(303年~361年)は、東晋の政治家、書家。書道界の書聖=神様として現在も崇められている。空海によって日本に渡来したと考えられる。

上記は私なりに中国の様々な能書家によって書かれた古典の中で、一番似ている文字をそれぞれ探し並べて並べてみました。

あくまで私の主観によるものですが似ていると思いませんか?

出光佐三さんが王義之、董其昌を参考にしたかどうかはもちろんわからないことですが、私にとってこのように似ている文字を探すことはパズルをやっているような楽しさがあるのです。

現代は人生100年時代と言われます。

とても長いようですが、古典として生き続けている文字は、それをはるかに超え王義之は約1700年、董其昌は約400年も生き続けています。

人々の美意識という眼の篩(ふるい)にかけられ、それでも残ってきた文字です。

それを無視して創作することはできないのではないでしょうか。

高度経済成長によって一般家庭に車という移動手段をもたらしました。

それから半世紀以上。

日本政府は「2050カーボンニュートラル」を打ち出し、2030年前半にガソリン車販売を禁止にすると言っています。

幼少の頃はガソリンスタンドに行くことさえも娯楽の一部でした。

私の原風景文字「出光」が消えてしまうのではないかと思うと、できる限り写真に収めておこうと思う今日この頃です。この様子は追記したいと考えています。

PS:後日知ったことですが、百田尚樹さんによって書かれた小説「海賊と呼ばれた男」のモデルが出光佐三さんだったようです。

genpopo

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