潤いに満ちた清澄な書「真玉泥中異」

手書き文字

「深くこの生を愛すべし」

會津八一先生(あいづ やいち、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎、1881年〈明治14年〉8月1日 – 1956年〈昭和31年〉11月21日)の「学規」の一文です。

教え子の大学生に「勉学の心得」として送った言葉ですが、會津八一先生の学生を思う慈愛の精神を感じます。

堀夢彩書「真玉泥中異」

これは私の愛弟子である夢彩さんの掛軸作品です。

景徳伝燈録の語「真玉泥中異」。読みは、しんぎょく でいちゅうに い なり。

「本当にすばらしいものは泥に中にあっても光輝いている」という意味です。

なんと潤いに満ちた清澄な書でしょうか。

書体は楷書。半紙サイズ24×33に5字を展開、雅号「夢彩」に草書体で書。

1.5㎝角の印二顆押印。

私はこの書作品から「筆脈の妙」と「深く沈着した点の美」、そして「溢れる人間性」を感ずるのです。

上記は右半身部分「真」「玉」「泥」です。

3字とも筆脈(実際には繋がってはいないものの線や点の間に気持ちの繋がりの線が見えること。)の妙が表現されています。

また「泥」のサンズイはあえて行書のように三点が実線で繋がれ、呼吸の長い独特のリズムが読み取れます。

さらに左半身部分「中」「異」です。

「中」の縦線の伸びやかさは、起筆の入り強く、途中細く、再度太く沈着しそっと抜くことで生まれています。

「異」の〇部の白い8つの窓により揺るぎのない結体(字の形体形成)を作り出しています。

そして何といっても、この書の一番の大きな特徴は☆部です。

どのくらいの時間紙面に筆先を置いているのでしょうか。

深く沈着した点(中においては縦線の途中。)は夢彩さんの慈愛の精神が溢れているかのようです。

先日の練習会の世間話で、夢彩さんが「私は苦労を苦労と思わないで過ごしてきた。」と話されていました。

私はその何気ない一言に、會津八一先生の「深くこの生を愛すべし」という言葉と同じ理(ことわり)を感じずには居られませんでした。

さて、どれだけの人が真剣に日々を過ごしているのでしょうか?

「この生を愛す」とは、このことに他ならないと思われます。

私には未だ到底及ばずの境地です。

書には技術を超越した「何か」が間違いなく存在しています。

PS:後日會津八一先生の書についても記述したいと考えています。

genpopo

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