もし『「九成宮醴泉銘」ものまね王座決定戦』が開かれたのなら。その2

手書き文字

前回 もし『「九成宮醴泉銘」ものまね王座決定戦』が開かれたのなら。その1 | 私の文字採集図鑑 (genpopo.com) に引き続きぜひお付き合いください。

「セロテープを顔に貼り、本人そっくりに見立てる。」

この「セロテープ芸」を生み出した清水アキラさんはほんとに天才だと思います。

見ている側は「似てる。面白すぎ。バカみたい。(良い意味で。)」と簡単に考えます。

しかし、セロテープを芸に活用しようとは誰も思いつかないのではないでしょうか。

一見すると子どもの軽薄な遊びと捉えられる可能性がありますが、そのアイデアを自分のものまね芸に存分に生かしきったからこそ、オリジナル芸として新たな地平を開いたのだと思います。

(調べてみると楽屋にあるテープを顔に貼って遊んでいたことから生まれたらしいですが。)

書道の学習においても、この考え方が一番重要なんじゃないかなと思っています。

自分の好きなものを見つけ、先ずはとことん「真似」する姿勢です。

上條信山先生 臨九成宮醴泉銘部分1
上條信山先生 臨九成宮醴泉銘部分2

これは「上條信山臨書集 第一巻九成宮醴泉銘」より抜粋させていただいた上條信山(かみじょうしんざん)先生の九成宮醴泉銘の臨書作品です。

とてつもなく美しい臨書だと思います。

大気が澄んでスカッと抜けるような青空の景観が思い浮かびます。

私がこの臨書作品に出会ったのは20代後半のころです。

車で8時間かけて長野県松本市に松本市美術館を訪ねました。

美術館について | 松本市美術館 (matsumoto-artmuse.jp)令和3年6月現在改修工事中。

美術館の入り口には、水玉模様(ドット柄)の「A PUMPKIN かぼちゃ」で有名な現代芸術家草間彌生さんのチューリップの巨大なオブジェが飾られています。

美術館2階に「上條信山記念展示室」がありました。

雄渾でやはり青空のような清々しい気分にさせてくれる数々の創作作品が展示されていました。「堅勁」「谷神不死」「地花人愛」等々、どの作品も心に迫ってくる感動がありました。

帰り際、ふと目を向けると入り口付近でショーケースに展示された、まくり(額や掛軸に仕立てられていない書いたままの状態のこと。)半紙の作品が飾られていました。

それが上條信山先生の九成宮醴泉銘の臨書作品だったのです。

墨色は赤茶系薄墨で、これでもかという位に研磨された、刀のような切れ味鋭い文字六字が半紙に理路整然と並んでいました。(上記に示した本から抜粋した臨書作品ももちろん良いですが、本物は一味も二味も違います。)

ショーケースの展示のため、どんなに間近で見ようとしても、作品との距離が30㎝あったのが悔やまれます。

もし九成宮醴泉銘の肉筆が存在していて、上條信山先生の臨書作品を横に並べたのなら、本物と見紛うほど肉薄していることでしょう。

それほどまでに原帖が復元されたような手書き文字は凄味を帯びていました。

「あーなるほど。この真似=臨書から欧陽詢の書法のエッセンスを取り出すことに成功し、自ら作品に昇華させたのだろうなあ。」と感慨に耽りました。

鑑賞を終え、美術館のミュージアムに立ち寄ると5冊組の「上條信山臨書集」が販売されており奮発して購入を決めました。

巻頭に「信山の勉強」という題名で奥様と思われる上條貞子さんの文が掲載されていました。

それには、「例えば九成宮の九の字を法帖と寸分たがわぬように、そっくり練習しなければならない。それには拡大鏡を使って細部までよく観察することが~中略~ いろいろな種類の定規なども揃えていたので、時にはそれを使ったりして臨書の研究をしたのかもしれません。」という記述がありました。

この文に思わず唸ってしまいました。

その地平に辿り着くために、一人のパイオニアタレントは「セロテープ」を顔に貼った、もう一人の偉大なる書家は「拡大鏡や定規」を用いて細部まで観察し研究に努めた等々。

両者の表現方法は全く違えど、アナロジーによって共通点を浮かび上がらせると、両者の「極限まで物事を追求しようとする姿勢」をより鮮明に感ずることとなります。

弛まぬ研鑽があってこそ芸術は生まれるべきして生まれるものなのでしょう。

書き進めるうちに当初予定していた勝ち抜き戦は行えませんでした。

ご容赦ください。

その3もあるかも。

genpopo

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